インターネットラジオ『MID on Lady Oh!』のオフィシャルサイト
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事の発端 |
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2005年8月1日、第1回『MID on Lady Oh!』の放送がスタートしましたが、そこに至るまでには実はいろんな背景が存在します。『MID on Lady Oh!』が始まることになった事の発端をまとめてみました。 しかし、かなり長いですし、文章ばかりです。
現『MID on Lady Oh!』の基本パーソナリティNorikiとHiro、そしてレアパーソナリティのLeaderとKazusa、当時中学生だった彼らによって一つの組織が結成された。この組織名は諸事情により非公開。ここでは"あっちの組織"と称する。
1991年夏、当時メンバーがよく聞いていたFM局のラジオ番組に影響を受け「自分たちでもカセットテープに録音すればラジオ番組が作れるんじゃないか?」という安易な発想のもと、ラジオ番組制作計画が持ち上がる。そしてその年の暮れ12月23日、ラジオ番組の収録が実現。この日に収録されたのは第0回放送にあたるプレ番組でBGMの流し方やいくつかのコーナーで構成する実験が行われた。収録時間は60分。 そして数日後、いくつかの候補の中から番組名が決定。ただしラジオ番組名も諸事情により非公開のため、ここでは"あっちの番組"と称する。番組名決定を受け、本放送となる第1回目の収録を12月29日に実施。この日Kazusaは都合により欠席したが、残る3人がそれぞれの持ち時間を割り当てられ、各個人のコーナーを収録するという形式で構成された。収録時間は120分。
第1回放送の3日後の1992年1月1日午前1時、年明け早々に3人は再び集合。カセットテープレコーダーを片手に近くの神社へ初詣がてら初の野外ロケを敢行。これをきっかけとして毎年1月1日の午前1時頃から"あっちの番組"の新春特番が収録されることが定着し、2003年を除いて現在に至るまでその新春特番は恒例行事として続いている。
当時はまだインターネットは一般的に知られていない時代で4人で制作した"あっちの番組"はカセットテープにモノラル音声で録音され、そのテープをダビングしてメンバー全員に配布するというスタンドアローンでの活動を続けていた。当時の番組は120分が基本収録時間であったため、カセットテープは120分テープを使用。テープが薄いため、メンバーの中には再生し過ぎてテープが切れてしまうというハプニングが起こる者もいた。 その後、番組の録音方式はマイクで拾った音を電波で飛ばしてコンポのラジオで受信してカセットテープに録音するミニFM電波放送方式、ステレオカセットテープレコーダでのステレオ収録、そして1995年の暮れにはデジタル録音や編集が可能なMDへと次々進化していった。 1997年の元旦には当時流行していたPHSで名古屋にいたKazusaと中継を繋いでの収録にも成功したが、収録スタジオの電波の入りが悪くほんの数分間だけの1コーナーで終わってしまう。
1998年夏、音楽用CDレコーダーを導入したことにより今までの"あっちの番組"をすべてCD化する計画が持ち上がり、実際にいくつかの番組はCD化に成功した。だが、ここまでで収録した番組の総収録時間は64時間を超えており、当時の音楽用CD-Rのコストや制作にかかる手間の問題ですべての番組をCD化することは困難であると判断され、CD化計画は一時中断された。 1999年7月、結成10周年を記念して"あっちの組織"のWebサイトを開設したことを期にインターネットの利用が開始された。時期を同じくして音楽フォーマットMP3が注目を集め始めていたこともあり、今までの"あっちの番組"をMP3化してWebサイトに掲載するインターネットラジオ計画が発動。 しかし、当時のインターネット回線の主流はアナログ回線やISDN回線などのダイヤルアップ接続。そのうえ、ホームページスペースの容量が少なかったため、MP3はもちろんRealオーディオ形式でもほんの数分間の音楽ファイルを載せることしかできなかった。ストリーミングの作成技術も持ち合わせていなかったため、実験には成功したがインターネットで本格的にラジオを放送することはあまり現実的ではないと判断された。 それに加え、ここまでに収録した"あっちの番組"は一般公開を想定していなかったため、BGMの著作権や個人名がそのまま出ているなど様々な問題が重なり、本格的に一般公開するインターネットラジオ放送には至らずお蔵入りとなった。
2000年当時、Macで音楽データをMP3に変換するには複数のソフトを使用しなければならず、現在の何倍も作業に時間がかかっていたため、"あっちの番組"のアーカイブ化は一時的に中断されていた。しかし、ここまでに収録した"あっちの番組"のカセットテープやMDは膨大な量となっており、先々のことを考えるとデジタルデータ化してコンパクトにまとめることが必要であった。 そこにiTunesというソフトが発表され、Macでも一発でMP3へ変換できるようになった。これをきっかけにこれまでに収録した"あっちの番組"を一旦MDから音楽用CD-RWへダビングしてそのCD-RWからMP3へ変換するという作業工程が生まれ、少しずつMP3ファイル化が進行していった。そして2003年7月、ようやく当時の総収録時間107時間超のMP3化がすべて完了した。番組内のコーナーやフリートークの話題ごとにトラックを区切ってそれぞれにタイトルなどのタグ情報を加え、作成されたMP3ファイルの数は1079、合計容量は7.21GBを上回った(ビットレートは160kbps)。 その後、MP3ファイルを書き込んだCD-Rの読み込みができるDVDプレイヤーなどが一般的になり、メンバーもそれを所有するようになったため、MP3ファイルでのCD化に着手。2004年5月にすべての"あっちの番組"のMP3CD化が完了した。この際に本業がデザイナーであるNorikiがジャケットとCDラベル制作を担当し、年代ごとに分けて"あっちの番組"をDVDトールケース収納できれいにまとめようとしたが、約半分の1998年まで制作が進んだところでNorikiのMacに致命的な故障が発生。修理も不可能な状態になったために本格的なジャケット制作は打ち切りとなり、ラベルにマジックペンでタイトル書きをしただけのCD-Rディスクで保管することになった。
2005年1月13日、ネットラジオサイト『ねとらじ』で比較的簡単にラジオ放送ができることを知り、実験的に"あっちの番組"を流すことに成功。基本的に"あっちの番組"はLeaderの意向で一般公開は禁止されていたが、本名が出されておらずBGMも流れていないごく一部だけを実験的に放送。短時間でも多くの方々に聞いてもらえるというメリットを知ることとなる。
それから5ヶ月後の6月20日、某テレビの情報番組で『ねとらじ』の存在を知ったNorikiからメンバー全員へインターネットラジオ番組の制作が提案される。すでにHiroが1月に『ねとらじ』での試験放送を内密に実施していたことや、ラジオ番組制作とMP3への変換作業の実績があったことで技術的な問題は皆無に等しかったため、話は一気に進展。5日後の6月25日、正式にインターネットラジオ専用の番組制作が決定し、パーソナリティに"あっちの番組"のリスナーであったYukaidaを加えて、新規に番組を立ち上げることになった。 7月9日、福岡市内某所の居酒屋で開催された第2回番組制作会議の中で番組名が『MID on Lady Oh!』に決定。13年半に渡る番組制作のノウハウをすべて注ぎ込んで、番組構成の打ち合わせやWebサイト制作と番組内で使用するBGM制作がここから急ピッチで進められた。 そして2005年7月31日、第1回『MID on Lady Oh!』の番組収録を敢行。翌8月1日午前0時21分に『ねとらじ』で放送を開始。Webサイトも同時にオープンして現在の『MID on Lady Oh!』に至る。
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